鉄道唱歌 北陸編 第33番 直江津に到着! 今回の旅では初めての海の景色

鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
直江津の観光・歴史について、初心者の方にもやさしく解説してゆきます!

↓まずは原文から!

みなとにぎわふ直江津なおえつ
つきてそむる海のかほ
やまのみなれしにはまた
おき白帆しらほめずらしき

さらに読みやすく!

みなとにぎわう 直江津なおえつ
つきてそむる 海のかお
やまのみなれし にはまた
おき白帆しらほぞ めずらしき

さあ、歌ってみよう!

♪みーなとにぎわう なおえつにー
♪つーきてみそむる うみのかおー
♪やーまのみなれし めにはまたー
♪おーきのしらほぞ めずらしきー
(現代意訳)
港に(船や人が)賑わう直江津に着いて、
(今回の旅では)初めて見る海の顔(景色)が、ここに現れた。
ここまでの道中で山ばかり見慣れてきた目にとっては、
沖の海に行き交う白帆(船)はとても珍しく感じられるものだなあ。
(北しなの線)
長野駅→豊野駅→牟礼駅→黒姫駅(旧・柏原駅)→妙高高原駅(旧・田口駅)

(えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン)
妙高高原駅(旧・田口駅)→二本木駅→新井駅→上越妙高駅→高田駅→春日山駅→直江津駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅と、その他主要と思われる駅を筆者の独断と偏見でピックアップ

妙高の高原を一気に降りてきて、直江津へ

妙高みょうこうの高原から、その標高差510mを一気に降りて、

  • 春日山駅かすがやまえき(新潟県上越市)

を過ぎてゆきます。

直江津駅(新潟県上越市)に到着

やがて、いよいよ上越の中心の港町の駅である

  • 直江津駅なおえつえき(新潟県上越市)

に到着です。

かつての直江津市の駅である、えちごトキめき鉄道・直江津駅(新潟県上越市)

えちごトキめき鉄道・直江津駅(新潟県上越市)

かつては直江津市の駅だった 現在は上越市

直江津駅なおえつえきは、かつて直江津市なおえつしの駅でした。

しかし、現在は合併して上越市になっています。

今回の旅では、初めての海沿いエリアへ

直江津に着いたら、今回の鉄道唱歌 北陸編の旅においては、初めての海の景色となります。

思えば、今回の旅では上野を出発して、ほとんどは内陸部や山岳地帯、または高原地帯の旅でした。
そのため、今回の直江津がようやく海岸沿いの地域ということになります。

親鸞聖人ゆかりの地・直江津

また、直江津は親鸞しんらんの上陸した街でもあります。

親鸞は、その敬意を示して、親鸞聖人しんらんしょうにんとも呼ばれます。

浄土真宗の開祖・親鸞

親鸞しんらんとは、鎌倉時代の宗教である浄土真宗じょうどしんしゅうの開祖であります。

浄土真宗における「悪人正機説」

浄土真宗では悪人正機説あくにんしょうきせつと言われ、悪いことをした人であっても救われるという、それまでの常識を覆すものでした。

例えば、いつも否定されたり怒られてばかりの人であっても「救われる」と教えられるのですから、それは救われた気持ちになります。
欧米ではキリスト教においても、「悪いことをしてしまった人でも、イエス様が身代わりとなって救ってくださる」と教えられているので、やはり今でいうところの自己肯定感の低い人々は救われた気持ちになるわけです。

従来の仏教とは画期的・異なるものだった

また、他力本願たりきほんがんといって、仏さまに(念仏など)お願いすれば救われますよ、という当時としては非常に画期的で、ハードルの低くゆるいものでした。

それまでの平安時代の仏教は

  • 比叡山ひえいざん
  • 高野山こうやさん

など、山にこもって行う厳しい修業が必要でしたから、鎌倉時代の仏教はそういった常識を覆す、寛容なものとなりました

越後国に流罪となってしまった、親鸞聖人

しかし、こうした浄土真宗などの新しい宗教の教えは、それまでの平安仏教などのあり方を否定したり、批判することにも繋がってしまったのでした。
そのため、必然的にそれまでの宗教勢力とは対立してしまうことになります。

親鸞もその例外ではなく、無念にも罰を受けてしまい、越後国えちごのくに(現在の新潟県)に流罪るざいという、憂き目となりました。

直江津へと上陸

その時親鸞聖人は、北陸地方を通って直江津に上陸しました。

この続きは、次回の柿崎かきざきのところで解説します。

西方面へは、「日本海ひすいライン」で

第三セクター線・えちごトキめき鉄道

ちなみに直江津から西方面には、こちらも北陸新幹線の開業に伴って第三セクターに移行した鉄道路線である

  • えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン

があります。

断崖絶壁「親知らず」

日本海ひすいラインは、「親知らず」という断崖絶壁を通ります。
それは、親が自分の子供を平気で突き落としてしまうほど、それだけ狭い断崖絶壁ということになります。

現在では、高架の上質な道路があり、また鉄道の線路も、山側のトンネルや高架の上などを走っていくわけです。
しかし、当時は本当に危険な断崖絶壁だったといいます。

また、下の海岸には人が進む道がわずかにあります。
しかしとても狭い、わずかなスペースを歩くため、常に波にやられてしまうリスクがあり、歴史上でも何人か波にのまれて犠牲になったともいわれます。

参勤交代のときには、人々が波を防止するシールド(盾)みたいになって、大名を守ったそうです。

明治11年の行幸の時も、親知らずを回避するため、山側のルートへ

明治天皇の北陸地方における明治11年の行幸ぎょうこうの時も、この北陸の親知らずを回避するため、山側のルートが検討されたようです。

現代では、交通の技術の発展により、そんな危険な思いをしなくてよいわけです。
そのため、鉄道や道路をはじめとする文明の発展には、本当に感謝したいものですね!

翡翠ひすいで有名な、糸魚川市

そして新潟県糸魚川市いといがわしは、翡翠ひすいという宝石で有名な場所です。
日本海ひすいラインの「ひすい」というのは、この宝石のヒスイからきています。

糸魚川ヒスイについては、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。

糸魚川の観光・歴史について、わかりやすく解説!
糸魚川の観光・歴史について、わかりやすく解説してゆきます!ヒスイ・糸魚川静岡構造線・フォッサマグナなどについても解説してゆきます!

次回からは、直江津駅を東へ

直江津からは東へ行き、

  • 犀潟さいがた
  • 柿崎かきざき
  • 米山よねやま
  • 柏崎かしわざき
  • 長岡ながおか
  • 三条さんじょう
  • 新津にいつ
  • 新潟にいがた

方面へ行き、新潟港から船で佐渡へ渡ります。
佐渡からは、また直江津に戻ってきて、今度は富山の方面へ向かう、という流れになります。

次は、

  • 春日新田駅かすがしんでんえき

を過ぎ、

  • 犀潟さいがた
  • 柿崎かきざき

方面へ向かっていきます。

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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